わが家には3人の娘がいますが、長女と次女は体外受精によって、三女は自然妊娠で授かりました。
3人とも大きな病気もなくスクスクと成長しています。
今日は、自然妊娠と不妊治療後に妊娠した子供ではどんな違いがあるのか?ということを、書いていきたいと思います。
まったく違いはない
はい。早々に結論を出してしまいました(^^;)
今のところ、体外受精で授かった姉二人と自然妊娠で授かった三女に違いは見られません。
取り立てて身体が弱いということもないし、逆に頑丈すぎてコワイってこともありません。
学習能力も低くもなければずば抜けて高いわけでもないので、やっぱり人工的な妊娠と自然妊娠では違いはないということですね。
出生体重は?
私は27歳で長女を出産しました。
妊娠期間は重いつわりに苦しみましたが、それ以外では特に大きなトラブルもなく順調に過ごしていました。
異変が起きたのは出産前日の朝です。
プチっという何かが切れたような音がお腹の奥の方でしたかと思うと、突然どばっと生ぬるい液体が流れ出てきました。
自分の意思で止めることができないので、尿もれの類いでないことは明らかでした。
入院の準備を整えて急いでクリニックに向かいました。
診断の結果は前期破水。
普通なら陣痛が先にあって破水するのですが、私の場合は破水が先に起きてしまったのでした。
翌朝、長女は3000グラム超の健康体で元気な産声を上げました。
しかし私の方は胎盤処理がうまくいかずに子宮が体外に飛び出し、大量出血で大きな病院に救急車で運ばれるはめに…。
長女(顕微授精)→出生体重3000グラム超、健康体
母体→前期破水、子宮内反症
次女の時は妊娠初期にバニシングツインになってしまい、双子の一人がいなくなってしまいました。
その影響で次女も一時は助かる確率は五分五分と診断され、切迫流産で2週間の入院を言い渡されました。
(実際には10日で退院しました。)
つわりは相変わらず重かったのですが、切迫流産の危機を乗り越え、後半は順調に過ごしました。
(カンジダにはそうとうくるしめられましたが。)
そして出産当日。
長女の時の子宮内反症のことがあり、早い段階から帝王切開の希望を出していました。
患者側が要望したところで判断するのはドクターなので、自然分娩でも大丈夫!と言われたら、私は自然分娩する覚悟は出来ていたのですが、家族には猛反対されました。
診断の結果、やはり自然分娩は危険ということで、帝王切開での出産が決まりました。
次女は2800グラムで元気に誕生しました。
次女(顕微授精)→出生体重2800グラム、健康体
母体→バニシングツイン、切迫流産、カンジダ腟炎、予定帝王切開での出産
三女の妊娠期間中、初期は上二人の時と同様、つわりに苦しめられました。しかし育児に明け暮れだいぶ紛らすことが出来ていたように思います。
次女の時と同じく、予定帝王切開によって三女は誕生しました。
2500グラム弱の小さな女の子でした。
三女(自然妊娠)→出生体重2500グラム弱、健康体
母体→予定帝王切開での出産
体外受精で授かった子供は低体重児の傾向があるという話もあるようですが、わが家の場合は当てはまっていません。
むしろ自然妊娠の三女の方が、2500グラム弱と小さかったです。
一人歩きの時期
平均だとbabyは1歳前後に歩き出す子が多いらしいのですが、体外受精で授かった長女と次女は、9ヶ月で歩き出しました。
ということは、もちろん寝返りや一人座り、タッチも早かったということです。
長女に関しては生後2ヶ月で寝返りを打ったので、神経系の病気を心配して小児科を訪れ、医者に苦笑いされたことを覚えています。
それに引き換え、三女は11ヶ月での一人歩きでした。こちらはごくごく平均です。
とはいえ、長女と同じ日に自然妊娠で誕生したお友達の子供は、更に1週間早くテクテク歩いていましたから、治療で授かったからとか自然に授かったからというのは関係なく、個人差ということが言えるのかもしれません。
日常生活での違い
長女→甘えん坊、やせの大食い、落ち着きがない
次女→自立している、少食の偏食、落ち着いている
三女→甘えん坊、やせの大食い、落ち着きはあるが狂暴
この図式から見てもらっても分かる通り、長女と三女は体質、性格が似通っています。
(ただし、長女は狂暴ではなく穏和な方です。)
これはもはや、どういう誕生のしかたをしたのかということではなく、何番目に生まれたのか?とか、遺伝的な問題の方が強いようです。
長女は次女が生まれるまでは一人っ子で、親の愛情を独り占めしていました。
それが次女が生まれたことで、いつでも主役のお姫さまだったのが突然脇役になってしまったのです。
赤ちゃん返りが激しく、ストレス行動も多々見受けられ、親として途方にくれたのを昨日のことのように思い出します。
一方次女は、いつでもお姫さまの姉を冷静な目で見つめています。姉の機嫌1つでその日がハッピーになるかどうかが決まるので、下手なことはしないでおこうと頭を巡らしているのが分かり、なんだか切なくなるときがあります。
三女はまだ1歳なのでわがままし放題です。ただ、まだ言葉が話せないので気にくわないことがあると、近くにいる次女に噛みついてストレスを発散しているようです。
何もしていないのに噛みつかれたり髪を引っ張られたりして泣いている次女を見ていると、不憫でなりません。
という訳で、親から受け継いだ個性、生まれた順番、生活環境、そういうものが子供たちの人格や体格を形成していて、現時点では、生まれるまでの経緯はまったくといっていいほど関連していないと思われます。
大切なこと
不妊治療をしているということを、私は堂々と公言できませんでした。
それはどこかに、自然妊娠とは違う特殊なことをして子供を得ようとしているという後ろめたさがあったからだと思います。
子供は授かり物なのに、そこに人為的なものを加えて、まだ来る予定のない子供を無理矢理来訪させようとしているのではないか?
多かれ少なかれ、私と同じような思いに駆られる方はいることと思います。
しかし、辛い治療を乗り越え、妊娠、出産、子育てと過ごしていくと、不思議な感覚に陥ることがよくあります。
ああ、この子たちはここに来るべくして来たのだな…と。
それは子供たちが幸せ一杯に笑っているとき、きょうだい喧嘩をして大暴れしているとき、過酷な勤務形態でほとんど子供たちたちと過ごすことの出来ない父親に労りの言葉をかけているとき、どんなときでも感じることが出来ます。
不妊治療に行き詰まったとき、私は自分がどこに向かおうとしているのか分からなくなることがありました。
堂々と不妊治療をしていると言えないこの状況って何なんだろう?
子供を得ることが出来ないばかりか、特殊な薬を沢山打って、身体を痛め付けて、心もボロボロになって、そこまでして向かう先には何があるのだろう…。
しかしその先を深く考えることは怖すぎて出来ませんでした。
…。
今、私は不妊治療に費やした日々、不妊治療で子供を授かったという事実を後ろめたいなんて少しも思っていません。
それはまだ3歳の次女の言葉があったからです。
まだ言葉も拙い次女がこんなことを言っていました。
「○○(次女の名前)、パパと一緒に階段ガタガタって落ちたんだよ」
もちろんそんな事実はありません。
「○○は階段落ちたことなんてないよ」
私と夫がそう言っても、次女は聞き入れず、頑なに言い張りました。
そして私たちは古い記憶を思い出しました。
それは以前住んでいたメゾネットタイプのアパートでのことです。
夫が一度だけ階段で体勢を崩して転がり落ちたことがありました。
ものすごい音がしたので、2階にいた私と長女(当時3歳)は驚いて下に駆け降りていきました。
幸いにも怪我は無かったのですが、だいぶ上から転げ落ちたため、夫はあまりの恐怖にその時の状況を思い出すことが出来ないそうです。
もちろんこの時、次女は生まれていません。
私は次女を得るために丁度不妊治療の真っ只中でした。
夫は階段を転げ落ちたことがあるけれど、それは次女が生まれる一年も前のこと。
そして次女は夫と階段を転げ落ちたことなんてないのです。
一体これは何を意味しているのでしょう。
ここからは、ただの私の思い込みの話になります。
きっと次女は私のお腹の中に宿る一年も前から、何か温かいエネルギーのような存在として、すでに一緒にいたのだと思います。
でなければ、
「階段落ちたことなんてないんだよ」
と諭す私に、
「なに言ってんの、ママ。だってパパと落ちたじゃん」
と自信いっぱいには言わないはずです。
子供の言うことなので、夢と現実がごっちゃになっているという可能性もなきにしもあらずなので、信憑性があるか?と言われると困ってしまいますが(^^;
もし次女が私の中に宿る前から、私たち家族の様子をふわふわと空中に漂いながら見ていたのだとしたら、私が不妊治療中に感じていた後ろめたさは、まったく意味のないことだったということです。
不妊治療は特殊かもしれないけれど、治療によって来る予定のない子供を無理矢理来訪させようとしているわけではないのです。
子供はきっと私たちのすぐそばにいて、母親となる私たちの心と身体のコンディションが整う日を心待ちに、辛抱強く待ってくれているのだと思います。


